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流儀について

当館では様々な流儀を伝えておりますが、主に伝えている3流派を紹介させていただきます。

疋田流

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疋田流は、新陰流の剣豪として知られる疋田景兼は剣術だけではなく槍術等も伝えていました。疋田の弟子の猪多重良が形を加え、新陰兵法と疋田流を同時に伝え大成させました。
疋田流は素槍を用いる槍術流派ですが、薙刀、剣術(ただし太刀対槍)、十文字槍、鍵槍の技も伝えています。
その教育的素養の強さから鳥取藩、伊予松山藩、岡山藩、徳島藩、仙台藩を主に全国各地で伝えられました。

尾張貫流

尾張貫流の画像

尾張貫流は、津田信之が開いた槍術の流派です。尾張藩主・徳川吉通が他藩に伝えることを禁じたことから「御留流」とされていました。槍の長さは二間(約3.6m)に「管」を通して使い、螺旋を描いて繰り出し、繰り引くときのスピードと破壊力をその特徴とします。現在も「試合に始まり形に終わる」という教えを伝え、防具をつけての地稽古を中心に行われ、槍術では数少ない試合を行う流儀として有名です。

新陰流

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新陰流は、上泉信綱により1560年代に成立した剣術の流派です。
上泉信綱は、新陰流を伝授するために全国各地を巡っており、多数の弟子がいました。 中でも柳生宗厳は息子宗矩と徳川家康公の御前で演武しその後、将軍家に流儀を指南しています。
そして、疋田景兼も織田信忠、豊臣秀次、黒田長政などの有名大名に流儀を指南しています。 当館はその2人の疋田景兼と柳生宗厳が伝えた新陰流2つを稽古しています。

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